白銀
3月にもなるというのに雪だ。一面の銀世界。
九州育ちのきのこやとしては、ちょっとワクワクしますね。
というわけで、記念カキコ。
一面の雪景色を見て思い出したことがあります。
あれは1993年だっけかなぁ。そのぐらい昔のこと。まだ私は20代の後半で、はじめてシンポジウムの運営というものをやりました。メインゲストは中国の教授。うちのきのこの臨床試験の結果を発表してもらうことになっていました。
一行が到着するのはシンポジウムの前日。しかし、北京は季節外れの雪で空港が閉鎖。結局、シンポジウム当日の飛行機に彼らは乗ることになりました。
もちろん、一行はシンポジウムに参加することは叶わず、代打に発表をさせました。運営当事者の私の心の乱れようをご想像いただけますでしょうか。
「何やってんだダコぉ〜!!」てな気分と、「うわぁ、やっちまったぁ(号泣)」みたいな脱力感の狭間を行ったり来たりする心境だったかなぁ。
そして夜の懇親会。遅ればせながら中国の一行は、懇親会の途中で会場に現れました。
マイクを取って一言。
「昨日、北京は季節外れの雪に見舞われました。中国では雪は吉兆と言われております。一面の白い世界は、全ての始まりを表わすと考えられています。シンポジウムに参加できなかったことは残念ですが、しかし、我々の(ヒメマツタケ)プロジェクトは、この白い世界の上に自由自在に希望の画を描き、必ずや成功を収めることを確信して、今、この場に参りました。」
何事にも動じない大人の胆力を見た気がしました。
私たちの日常は、まるで小さな遊園地のローラーコースターのように、さまざまな起伏をちょこまかと走っているようなものですね。
「あー、明日カードの支払だわ。やべ、残高足りねぇ。」
「おおおー、今日、てんびん座(私の星座ね)運気一番じゃん!」
「ん?9時?うっわ!○×△h…会社遅刻〜orz」
「やたー、宝くじ1000円当たった〜」
(あまりにもダメな例だけど、あくまでも例ね)
しかし、日常の小さな物語は入れ子構造のように、その外の大きな物語、さらに大きな物語の中の一話なのかもしれません。
中国の教授の一言は、シンポジウムの大失敗(小さな物語)に悔やんでいる20代後半の私の心に、何故か落ち着きと暖かさを運んできました。
勘違いしないで欲しいのは、小さな物語だから価値がないと言っているのではありません。小さな物語を疎かにするものは、大きな物語に出会うことはできません。しかし、小さな物語に固執する者は、大きな物語を見失うことにもなります。
大事なことは大きな刀で、爪楊枝に仏像を彫るような視点と立ち位置を意識することだと思います。
みなさんはこれから新しい学年、あるいは国家試験という未知の体験、あるいは、新しい世界に踏み出していきます。
雪に足を取られないようにしっかりとした足取りで、そして白銀の真っ白な世界に自分なりの輝かしい未来をどうぞ描いていってください。
心から、あなたの旅立ちを祝福します。