最近読んでいる(読んだ)本紹介
日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 (講談社+α新書)
- 作者: 浅川芳裕
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/02/19
- メディア: 新書
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実は日本の農業生産額は、世界第5位らしい。マスコミの論調では、日本の農業は衰退の一途を辿っている、というステレオタイプの印象を抱いておりましたが、かなりのミスリーディングがあるようです。
最 近、本業の事業計画の作成作業で、FAO(国連食料農業機関)の統計データベース、FAOSTATを弄んだんだけど、数字に当たると意外な結果が得られますね。というか、いかに自分の感覚で捉えている印象が間違っているかを実感できます。FAOSTATおすすめです。一度覗いてみてください。
撮影快調
と、いうわけで、江口先生、柿沼さんのブログでご存じのことと思いますが、きのこ料理レシピ本の撮影で、東京は高円寺の木田先生のご自宅スタジオで撮影しております。
スケジュールは、柿沼さんのブログにあるように、1日なんと20品を撮影するという殺人的なスケジュールで進行しております。
ま、大変なのは料理を作る木田先生なんですけど。
撮影も、確かに15分で1品を撮るというのは、結構しんどいのですが、ま、そのへんはやっつけ加減でやっております。
せっかくなので、未編集ですが何枚かお見せしましょう。
一番下の写真は、なんと、クロレラ塩、コッコミクサ塩を添えたマイタケのてんぷらです。
これが意外においしいんですよ。
木田先生とは、この色味を生かしたケーキかクッキーを作ったら売れるかも、と盛り上がってしまいました。
2010年度春版トップページ完成
お待たせしました!昨日撮影した写真を使った、2010年度春版のトップページが完成しました。
横一列の写真にしましたので、すっきりとしたデザインになっております。
なお、今回の改変で、新しいHTML記法(ホームページで使われる、HTMLという記述言語の書き方ですね)を覚えました。
表を作る、tableというのがあるのですが、それのパラメーターの記述法法です。
気になるヒトは、私にお尋ねください。
気にならねーか?www
学び方を学ぶ
さて新年度ですね。江口研究室のみなさんは、あと約半年で、修論、卒論を仕上げなければなりません。あっという間ですね。がんばってください。
さて、今回は、本の紹介。
内田樹の『日本辺境論』。
日本辺境論 (新潮新書)
(2009/11)
内田 樹
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ちなみにこの本、新書大賞2010のベスト1に選ばれていた。
新書大賞〈2010〉
(2010/02)
中央公論編集部
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図らずも購入した、しかも、たまたま友人の紹介記事を読んで知った作者で、かつ、一気にのめりこんだ作者がナンバー1になるというのは、なんとなく誇らしい気分になる。
これまでに読んだ彼の本は、
こんなのや
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
(2009/07/15)
内田 樹
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こんなの
子どもは判ってくれない (文春文庫)
(2006/06)
内田 樹
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これも
知に働けば蔵が建つ (文春文庫)
(2008/11/07)
内田 樹
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あー、これは松島君に貸そうと思ったヤツ。
私の身体は頭がいい (文春文庫)
(2007/09/04)
内田 樹
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すっかりハマっております。
特に私は、彼の教育論というか「学ぶとは?」という論考にすっかり傾倒しております。
詳細は、是非是非、彼の著作を読んでいただくとして、簡単に言えば、
「学ぶ者は、学びの師を選択する時に、それを判断する基準を持っていない(=故に学びに動機付けられる)」
「なんだかわからないけど、この師についていこうという直感にしか頼ることができない(それは日本人の特筆すべき特徴である)」
これを彼は、自身の合気道習得の経験や能の体験などを引きつつ、すぱっと論理明快に説いていきます。
私が彼の説に激しく同意するのは、私にも似たような経験があるからです。
大学1年の春、私は3浪の末憧れの大学生活というものに飛び込みました。仕送りが期待できない家庭環境だった故、働きながら私立大学に通う私は、1円でも元を取り返すぞ、という気合に鼻が膨らんでいたことでしょう。
可能なかぎり履修可能な授業に登録し、私は火曜の7限(だっけかな?)の『美学』という授業の第1回目に参戦しました。1時間半の講義を受けた私は愕然とします。無垢で無知な田舎者の私は「多分、上手にイラストが書けたり、絵を描く理論を教えてくれるんだろう?」と考えていました。しかし、内容は全く異なりました。そもそも、美学とは、哲学の一ジャンルで、絵を描く技術などを教えてくれるものではありませんでした。
「一言もわからない(笑)」。教壇に立つ教員が繰り出すコトバの、そのことごとくがわからない。いや、そこで展開されているのが日本語だってことはわかりますよ。
ロラン・バルト?相撲取りの親戚か?(いやいや、当時はそういう相撲取りはいませんでしたし、そもそも、バルト3国というコトバさえありませんでした)。アウラ?ラウラ・アントネリなら知ってるぞ(ちなみに、1970年代に中学生の心をわしづかみにした、イタリアのソフト・エロ映画『青い体験』の女優さんw。
みたいに、使われる単語の意味から、概念まで、全てがわからない。こんな体験は初めてでした。まさに衝撃の体験。まだ、コトバのわからないイタリアに旅行するほうが了解可能です。
「これが・・・大・・・学・・・?」
この時、私は大学の奥深さと己の無知を悟りました。これでも、それまで私の暮らしてきた生活世界では、私は知識が豊富で大人びているとの評価を受けていたのですが。まさに、「井の中の蛙大海を知らず」。
大分横道に逸れました。
その講義が終わった後、私はある衝動を抑えきれず、教壇に近づき、その全く理解不能な講義を1時間半しゃべくりまわった先生に向かって言いました。
「先生は、何が言いたいんですか?」
ほとんど小学生並みのリアクションですw。
しかし、私は、その教師に喧嘩を売りに行ったのではありません。何を言っているのかわからない、しかし、そこには私を惹きつける何かしら重要なものがありそうだという直感に導かれ、彼(=教師)に少しでもヒントを貰おうと思ったのです。
その時、彼が何と答えたのかは、今となっては記憶に残っていませんが、いずれにせよ、私は、その学問が私に必要そうだという直感のみによって、その学問に動機付けられたのです。そこには、「この教師は、フランス哲学、なかでもベルクソンが専門で、その研究では、国内ではそれなりに評価されている。哲学における美学を究めるには、彼についていくことが妥当な選択であろう」などという、客観的な評価と判断力を私が有していて、彼に白羽の矢を立てたわけではありません。
「なんだかわからないけど、この師についていこう」
なのです。
その後結局、彼は私の大学4年間の生活の中で、最も多く時間を過ごした教師となり、彼を中心とした友人たちとは、今でも親交を続けています。
しかし、最近の教師(あるいは、教育)に対する学びの態度はいかがでしょう?
内田は書きます。
学び始める前に、「教える者」に対して、「あなたが教えることの意味と有用性について一覧的に開示せよ。その説明が合理的であれば、学ぶにやぶさかでない」というような(わりと強気な)態度
典型的には大学のシラバスも同じ教育思想に基づいていると内田は言います。
つまり、教育が商品になっている。スーパーの野菜を値踏みする態度と同じ態度で、教師に、教育に向かっている。
これに対し内田は、
学び始める前に、これから学ぶことについて一望俯瞰的なマップを示せというような要求を学ぶ側は口にすべきではない。これは伝統的な師弟関係においては常識です。そんなことをしたら、真のブレークスルーは経験できないということを古来日本人は熟知していた。
単純にこの引用だけを読めば、「何古臭いこと言ってんだよ。ぶゎぁか!」と思われるかもしれません。彼の著作を読めば、あなたもその真意がわかると思いますが、いずれにせよ、私には、経験的に彼の言っていることがよくわかるし、私は実践してきたつもりです。
ただ、一方で、実際に学生に指導をする場合は、私が指導する内容が、他愛もないスキルということもあって、かなり念入りに、「これを覚えると、こんなに幸せだよー」などと功利的な理由を並べ立てて説得しているのですがw。
ただ、本質的に学ぶという行為が持つ非対照性と、予見不可能性については、理解しているつもりです。
さらに、ここから話は武士道に飛び、努力と報酬の相関(努力に見合った結果が得られるということ)を根拠に行動することが武士道に反するとした新渡戸稲造に同意しつつ、昨今の「功利的な学び」の原理的な矛盾と非効率を述べていきます。
学び方を習得した人間は、どこに行っても使える人間になります。全く異なる分野に進んだとしても、何故か自分の習得した学問で、その世界を理解できるようになります。
だまされたと思って、一読されてはどうでしょうか?
大人になるということ
今、松島博士の告別式を終えて、強風により40分遅れの最終の飛行機で自宅に帰ってきました。
私は、この1年間でかなり親しい人4人のお葬式に参加しました。4人目は今日の松島博士。
精神分析学の創始者、ジグムント・フロイトが作った言葉として「喪の仕事(Mouning Work)」というのがあります。言葉の直接的なイメージから、死者への弔いをイメージしますが、もちろん愛する人を亡くした悲しみも入りますが、仕事を失ったいらだちや、さまざまな喪失体験を解決していく心理的過程を喪の仕事と呼んでいます。
簡単な定義は
☆喪の仕事 mouning work
愛着のある対象の喪失のよって生じる悲嘆の苦しみを乗り越えていく心的プロセスをS.フロイトは喪の仕事とよんだ。「対象」となるものは現実の人間だけでなく、幻想上の自己像や恋人像、若さや健康、仕事や財産なども含まれる。人間は時がたてば自然に失った対象を忘れてしまうのではなく、さまざまな感情体験を繰り返し、悲しみと苦痛の心的過程を通して初めて対象喪失に対する断念と受容の心境に達することができる。
死はいろんな意味で周りの人間を巻き込んでいきます。親や家族、恋人や親しい人を悲しみにくれさせたり。みなさんも松島博士の死に巻き込まれた人たちの一人です。もちろん、私もね。
巻き込まれたと言っても、決してネガティブな意味で、巻き込まれたとは誤解しないでくださいね。投げ込まれるという意味でしょうかね。
さて、それぞれの人は、死に巻き込まれた過程でさまざまな反応をします。涙がとめどなく流れることもあるでしょう。食事が喉を通らない、何も手がつけられないということもあるでしょう。
そんな中で「大人になるってこういうことかなぁ?」と最近思っていること、それは「身近な人の死に際して想起される観念が異なってきた」ということです。
今回の松島博士の死の第一報に接してまず思ったことは、みなさんのことでした。彼の死がみなさんにとって、かなりのインパクトを与えることは想像に難くありません。その死をどのような形でみなさんに伝達するか。死を悼みつつ、その精神的な苦痛を最小限に抑える、言葉をぶっちゃければ、ショックのあまり自殺などを誘発しないようにするには、ということです。これは、江口先生もかなり慎重に応対されたようで、ブログにおいてただならぬ雰囲気を感じた人もいるかもしれません。
そうして空気作りをしつつ、ゆるやかに告知へ向かったプロセスは、恐らく大人にならないとできない配慮ではないでしょうか。
さらに、葬儀の日程が決まった後、次に想起されたのは、ご家族への配慮でした。今回の死に接して、最もショックを受けているのは、もちろんご両親です。そのご両親に、彼の人生が意味があったこと、輝いていたこと、たくさんの仲間に囲まれていたこと、を伝えなければ、と考えました。喪の仕事において大事なことは、事実をとことん積み上げることから始まります。
彼の人生は一体どうだっただろうか?楽しくくらしていただろうか?どんなところで勉強をし、どんな人たちに囲まれて暮らしていたのか。それをリアルにご両親にお伝えすることが必要だと考えたのです。
そこで彼の写真を整理し、全ブログ記事を印刷して通夜までに間に合わせる。それによって、研究室にいた5年間を、学生のみなさんと楽しく、濃厚な人生を送ったのだなぁ、とご両親に知っていただき、彼の死を前向きに受容できる一助になればと思いました。
ちなみに松島博士のブログを整理してわかったことですが、彼は、このブログが開設されてからの約1300日の中で、実に641日、印刷した総ページ数880ページものブログ記事を書いてくれていました。単純計算で、2日に1回のペースで書いてくれたことになります。
もちろん、彼と関係のあった人々にできる限りアクセスして、会葬の連絡をすることも考えました。このへんは、江口先生が迅速に適切に対処されて、多くの人に見送られることになりました。よく考えればわかることですが、親というのは、意外と子供のことを知りません。彼が大学院時代に知り合った人々への連絡は、我々ではなければできない部分も多いのです。
これらの仕事は、彼の死を悼むという心性からは奇異に見えるかもしれません。端から見るとてきぱきと仕事をしているように見えるかもしれません。
もちろん、それぞれの立場によってやるべきことはいろいろです。ただ、大人になると、このような死を直接悼むだけではなく、それらに巻き込まれた人々への視点が、ほぼ同時的に生起するとこも事実です。そして、それが、亡くなった人への最後にできる、友人としてのはなむけだと、私は感じています。
ちょっと酔っ払って、とりとめのない文章になってしまいました。お許し下さい。
それにしても・・・、あまりにも若い死でした。「人は死を約束して生まれてくる」とは、松島博士の博士論文を審査した、藤原先生の言葉ですが、その言葉を松島博士に適用できるまでには、まだ、私の喪の仕事は時間がかかりそうです。
白銀
3月にもなるというのに雪だ。一面の銀世界。
九州育ちのきのこやとしては、ちょっとワクワクしますね。
というわけで、記念カキコ。
一面の雪景色を見て思い出したことがあります。
あれは1993年だっけかなぁ。そのぐらい昔のこと。まだ私は20代の後半で、はじめてシンポジウムの運営というものをやりました。メインゲストは中国の教授。うちのきのこの臨床試験の結果を発表してもらうことになっていました。
一行が到着するのはシンポジウムの前日。しかし、北京は季節外れの雪で空港が閉鎖。結局、シンポジウム当日の飛行機に彼らは乗ることになりました。
もちろん、一行はシンポジウムに参加することは叶わず、代打に発表をさせました。運営当事者の私の心の乱れようをご想像いただけますでしょうか。
「何やってんだダコぉ〜!!」てな気分と、「うわぁ、やっちまったぁ(号泣)」みたいな脱力感の狭間を行ったり来たりする心境だったかなぁ。
そして夜の懇親会。遅ればせながら中国の一行は、懇親会の途中で会場に現れました。
マイクを取って一言。
「昨日、北京は季節外れの雪に見舞われました。中国では雪は吉兆と言われております。一面の白い世界は、全ての始まりを表わすと考えられています。シンポジウムに参加できなかったことは残念ですが、しかし、我々の(ヒメマツタケ)プロジェクトは、この白い世界の上に自由自在に希望の画を描き、必ずや成功を収めることを確信して、今、この場に参りました。」
何事にも動じない大人の胆力を見た気がしました。
私たちの日常は、まるで小さな遊園地のローラーコースターのように、さまざまな起伏をちょこまかと走っているようなものですね。
「あー、明日カードの支払だわ。やべ、残高足りねぇ。」
「おおおー、今日、てんびん座(私の星座ね)運気一番じゃん!」
「ん?9時?うっわ!○×△h…会社遅刻〜orz」
「やたー、宝くじ1000円当たった〜」
(あまりにもダメな例だけど、あくまでも例ね)
しかし、日常の小さな物語は入れ子構造のように、その外の大きな物語、さらに大きな物語の中の一話なのかもしれません。
中国の教授の一言は、シンポジウムの大失敗(小さな物語)に悔やんでいる20代後半の私の心に、何故か落ち着きと暖かさを運んできました。
勘違いしないで欲しいのは、小さな物語だから価値がないと言っているのではありません。小さな物語を疎かにするものは、大きな物語に出会うことはできません。しかし、小さな物語に固執する者は、大きな物語を見失うことにもなります。
大事なことは大きな刀で、爪楊枝に仏像を彫るような視点と立ち位置を意識することだと思います。
みなさんはこれから新しい学年、あるいは国家試験という未知の体験、あるいは、新しい世界に踏み出していきます。
雪に足を取られないようにしっかりとした足取りで、そして白銀の真っ白な世界に自分なりの輝かしい未来をどうぞ描いていってください。
心から、あなたの旅立ちを祝福します。