大人になるということ

 今、松島博士の告別式を終えて、強風により40分遅れの最終の飛行機で自宅に帰ってきました。
 私は、この1年間でかなり親しい人4人のお葬式に参加しました。4人目は今日の松島博士。

 精神分析学の創始者、ジグムント・フロイトが作った言葉として「喪の仕事(Mouning Work)」というのがあります。言葉の直接的なイメージから、死者への弔いをイメージしますが、もちろん愛する人を亡くした悲しみも入りますが、仕事を失ったいらだちや、さまざまな喪失体験を解決していく心理的過程を喪の仕事と呼んでいます。

 簡単な定義は

☆喪の仕事 mouning work
 愛着のある対象の喪失のよって生じる悲嘆の苦しみを乗り越えていく心的プロセスをS.フロイトは喪の仕事とよんだ。「対象」となるものは現実の人間だけでなく、幻想上の自己像や恋人像、若さや健康、仕事や財産なども含まれる。人間は時がたてば自然に失った対象を忘れてしまうのではなく、さまざまな感情体験を繰り返し、悲しみと苦痛の心的過程を通して初めて対象喪失に対する断念と受容の心境に達することができる。

心理学用語辞典
http://www8.plala.or.jp/psychology/dic.htm

 死はいろんな意味で周りの人間を巻き込んでいきます。親や家族、恋人や親しい人を悲しみにくれさせたり。みなさんも松島博士の死に巻き込まれた人たちの一人です。もちろん、私もね。
 巻き込まれたと言っても、決してネガティブな意味で、巻き込まれたとは誤解しないでくださいね。投げ込まれるという意味でしょうかね。
 さて、それぞれの人は、死に巻き込まれた過程でさまざまな反応をします。涙がとめどなく流れることもあるでしょう。食事が喉を通らない、何も手がつけられないということもあるでしょう。


 そんな中で「大人になるってこういうことかなぁ?」と最近思っていること、それは「身近な人の死に際して想起される観念が異なってきた」ということです。
 今回の松島博士の死の第一報に接してまず思ったことは、みなさんのことでした。彼の死がみなさんにとって、かなりのインパクトを与えることは想像に難くありません。その死をどのような形でみなさんに伝達するか。死を悼みつつ、その精神的な苦痛を最小限に抑える、言葉をぶっちゃければ、ショックのあまり自殺などを誘発しないようにするには、ということです。これは、江口先生もかなり慎重に応対されたようで、ブログにおいてただならぬ雰囲気を感じた人もいるかもしれません。
 そうして空気作りをしつつ、ゆるやかに告知へ向かったプロセスは、恐らく大人にならないとできない配慮ではないでしょうか。
 さらに、葬儀の日程が決まった後、次に想起されたのは、ご家族への配慮でした。今回の死に接して、最もショックを受けているのは、もちろんご両親です。そのご両親に、彼の人生が意味があったこと、輝いていたこと、たくさんの仲間に囲まれていたこと、を伝えなければ、と考えました。喪の仕事において大事なことは、事実をとことん積み上げることから始まります。
 彼の人生は一体どうだっただろうか?楽しくくらしていただろうか?どんなところで勉強をし、どんな人たちに囲まれて暮らしていたのか。それをリアルにご両親にお伝えすることが必要だと考えたのです。
 そこで彼の写真を整理し、全ブログ記事を印刷して通夜までに間に合わせる。それによって、研究室にいた5年間を、学生のみなさんと楽しく、濃厚な人生を送ったのだなぁ、とご両親に知っていただき、彼の死を前向きに受容できる一助になればと思いました。
 ちなみに松島博士のブログを整理してわかったことですが、彼は、このブログが開設されてからの約1300日の中で、実に641日、印刷した総ページ数880ページものブログ記事を書いてくれていました。単純計算で、2日に1回のペースで書いてくれたことになります。
 
 もちろん、彼と関係のあった人々にできる限りアクセスして、会葬の連絡をすることも考えました。このへんは、江口先生が迅速に適切に対処されて、多くの人に見送られることになりました。よく考えればわかることですが、親というのは、意外と子供のことを知りません。彼が大学院時代に知り合った人々への連絡は、我々ではなければできない部分も多いのです。

 これらの仕事は、彼の死を悼むという心性からは奇異に見えるかもしれません。端から見るとてきぱきと仕事をしているように見えるかもしれません。

 もちろん、それぞれの立場によってやるべきことはいろいろです。ただ、大人になると、このような死を直接悼むだけではなく、それらに巻き込まれた人々への視点が、ほぼ同時的に生起するとこも事実です。そして、それが、亡くなった人への最後にできる、友人としてのはなむけだと、私は感じています。

 ちょっと酔っ払って、とりとめのない文章になってしまいました。お許し下さい。

 それにしても・・・、あまりにも若い死でした。「人は死を約束して生まれてくる」とは、松島博士の博士論文を審査した、藤原先生の言葉ですが、その言葉を松島博士に適用できるまでには、まだ、私の喪の仕事は時間がかかりそうです。