危機管理と想像力

 2週間の出稼ぎから人吉の山に帰ってきました。学会発表を終えられたみなさん、お疲れ様でした。学会発表の内容については、各自のブログを参照していただくとして、今日は別の話を。
 不思議なもので、出張に出かけると、普段はお目にかからないトラブルの報に接することがあります。大抵は、即座に処理可能な問題であったりするので、後から考えれば、笑い話で済むのですが、笑い話にするためにも、押さえておかなければならないポイントがいくつかあると思います。
 今回の北海道での学会中にも聞き捨てならない「事件」が起こりました。第一報は、全ての発表が終わり、皆で食事をしようと店に落ち着きかけた時でした。私も初の座長を終えた緊張感が覚めやらず、心なしか興奮していました。
 内容は「3年生の実験中に試薬が目に入った」というものです。場内は一瞬凍りつきました。件の学生の実験内容からすると、硫酸の可能性が高いことが予想されましたが、「もしかして、水酸化ナトリウムだったら大変だよね」「対処方法3年生はしっているかな?」などと事態を案じる会話が交わされました。
 ほどなくして今度は、ケアをしていただいた先生より電話が入り、内容物は「0.1規定の水酸化ナトリウム溶液」ということが判明しました。一堂は、0.1規定だから、大事には至らないだろう、とほっとしました。

 さて、ここでこの一文をお読みになったみなさんは、何を考えましたか?
 「大事に至らなくてよかったね」でしょうか?
 「あはは、ぼけっとしてるからだよ(笑)」でしょうか?
 それとも「あー、試薬もったいねー」でしょうか?
 どれも一面では正解ですが、それではあまりにもレベルが低い。というより、同じ過ちを繰り返します。

 まず、ここでは、本人が不在です。いずれも連絡をしてきたのは、担当者本人ではなく、心配してくれた周りの大人たちです。しかるべき処置が一段落したら、本人が事の経緯を詳細に報告し、当然のこととして、トップの不在中=状況が把握できなくて、心配・イライラが嵩じている研究室の教授に謝罪すべきです。
 よくテレビで見ませんか?例えば、「原発事故が起こり、その事故から関係部署に連絡が来たのが〇〇分後で、対応が遅すぎた」という報道を。
 「命に別状がなかったから別にいいじゃん?」とか思っていませんでしょうか?違います。どんなに小さな事故であろうとも事故は事故です。

 日常のルーチンワークから逸脱した事態が生じれば、それは等しく「事故」となります。ましてや、傷の大小にかかわらず、人身に被害があった場合は、当然事故です。
 したがって、その組織の責任者には、しかるべき対応と責任が問われます。責任が問われるということは、状況によっては、金銭的、法的な負担を強いるということになります。もちろん、その事態によって心的、時間的なコストも強いるわけです。
 わかりやすく言えば、みんな学会発表でテンションが最大限に上がっている状況から開放されて、その興奮が冷め遣らぬ中に、突然飛び込んだ「事故報」によって、何よりも美味しい「お疲れさんビール」の味が、全く記憶に残らないということになるのです。これは、万死に値する失態ではないでしょうか(笑)?
 要約すれば、あるイレギュラーな事態が生じた場合に、組織に所属する人間は、その事態がどのように波及していくのか、という想像力を常日頃養っておかなければなりません。また、未然に、あるいは、最小限の被害に努めることももちろんですが、万一、そのような事態に陥った場合に、どのような行動をすべきか、もシミュレーションしてみるといいでしょう。
 今回の件は、不幸中の幸いで、責任問題という事態に至らなかったようですが、「大過なかった」と、その一点で何も学ばなければ、必ず同種の事故を繰り返します。
 私は、良く「世の中には事故に親和性の高い人間と、低い人間がいる」と言います。事故を起こす人間は、日常の動作の中に、本人が気づいていない事故を引き寄せる行動が潜んでいます。
 一方で、事故を起こしたことがない、という人間は、本人も無意識のうちに事故を回避する行動を取っています。
 この差が一体何に由来するのか?
 室員のみなさんには、事故を起こした本人だけではなく、もう一度自分の実験手技に、リスクのある手順がないかどうか、よく考えてみることをお勧めします。
 ついうっかり、というのは、何の言い訳にもなりません。

念のため、以前、江口先生が本ブログに投稿した記事もあわせてお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/egclab/20060805